危機のマネジメントはライフマネジメントの要でもあった

ー「武術の目的はハッピーエンド」

1月17日、目の前で親友が落下、死んだと思った。 
 
1月22日のライブの練習をしようとes-Senseというバンドを組んでいる方条 遼雨さんと田上陽一さんと蒲田のスタジオに向かった。
 
田上さんが先に行き、僕は方条さんと話しながら建物に入っていこうとした。方条さんは、大きな箱のようなカホンという重たい楽器を持っていた。

すると、突然前にいた方条さんが空中に足を踏み出し、急な階段を5段飛ばしで駆け降り始めたように見えた。瞬間「え、なぜ!?」と思った。1歩、2歩と大股で空中を走るように足をかいたかと思ったら、前回り受け身の形で一回転して、一番下まで落ちて、背中が床に叩きつけられたように見えた。この間おそらく1秒ちょっとの一瞬の出来事だった。

死んだと思った。階段を落ちたというレベルではない。上から勢いをつけて加速していき高さ5m・長さ10mほどある階段頂上から一番下まで一気に落下した。

方条さんは、仰向けに倒れたまま「これはやばい」と言いながらもがいていたように見えた。手足を少しずつ動かして、どこがどのぐらい損傷しているか確認していた。「床だと思って踏み出してしまった」と言っていた。だから高い位置から落ちることになったのだ。 

「頭は打っていないと思うし、手足は動くから自分の感覚としては大丈夫だと思うけど、今はアドレナリンが出ているからわからないだけかもしれないから、念のために動かないほうがいい」と自分で冷静にモニタリングをしながらそのまま安静にしていた。その後も常時セルフモニタリングをし続けていた。

お店の店長さんが出てきて、すぐ救急車を呼んでもらった。コンクリートの傾斜も急な踊り場もない一直線の階段だ。あの勢いで落ちたら普通の人なら重症以上は確定で、打ちどころが悪ければ死ぬだろう。

方条さんが、前まわり受け身を取ったのは見えたけど、さすがにあんなスピードで加速的に落ちて無事で済むはずはない、脊椎とか損傷していたら武術家としての方条遼雨は死んでしまう、カホンを自分が持っていれば避けられたかもしれない(一瞬僕が持ちますよと言いかけたのだがやめてしまった)、あの時自分があんな話をしていなければ避けられたのではないか、といった未来への恐れと過去の自分を責める思考が次々と溢れてきた。

当の方条さんは落ち着いていた。しかし、自分は落下事故を1メートルも離れてない真後ろからスローモーションで目撃し、最初は呆然としていたが事態が飲み込めるほどにショックが深くなり、顔面から血の気がサーっと引いていくのがわかった。視野が薄暗く次第に狭くなってきた。

小学校の頃、紙吹雪を作っているときに指の先をカッターで激しく切って指先が取れたことがあって、指をティッシュで押さえながらしばらくして、掃除をしている時に倒れたことがある。友達の話では立っていたのに真後ろにまっすぐバタッと倒れたそうだ。友達は最初ギャグで倒れたと思ったが動かないから大変だと先生が駆け寄って行ったという。

その時の経験から「まずいこれは脳貧血だ」とわかったので、すぐ横にあった傘立てに座った。休んだほうがいいと思って壁にもたれかかって姿勢を低くしていった。だんだん眠くなってきた。

目が覚める。天井が見えていた。一瞬何かの夢を見ていた。 

聞いた話だと目を開いたまま、ゆっくりと前傾していき腕の方が少しずつ前に崩れていったとのこと。

すぐに目覚め、起き上がることはできたが、また倒れるとまずいので少しの間椅子で横になったり、朝ごはんを食べていなかったのでそこにあった自販機で栄養ドリンクを買って飲んだ。

救急隊が到着。その場で方条さんのバイタルなどをチェックしていた。田上さんは車で病院に来るため、僕が付き添いで救急車に一緒に乗ることにしたが、自分もまだ具合悪かったので椅子に寝転がりながら方条さんと話していた。

救急隊は「高エネルギー外傷」として搬送先を探していたが、コロナ禍のため断られなかなか決まらなかった。 

方条さんは救急車の寝台に寝ながら「無事乗り越えられたらこんなに美味しいネタはない」と言ったり、スマホで1月22日に我々が出る予定のライブの告知をしたりしていた。マジかと思った。 

消防の人は、方条さんの紙のスリッパに戸惑った様子で「これって靴なんですよね?」おずおずと訊いてきたので、「この方は有名な古武術家の甲野善紀先生の高弟みたいな方で普段裸足で訓練されているんです」とフォローすると、消防士の方も思い当たるところがあったのか「ああ、高下駄みたいなものですね」と言っていた。 


病院が決まった。大森赤十字病院だ。   

走り出すと、サイレンがなり、優先的に進路を確保していく。方条さんは落下した後の大変な状況ですら周囲の人への気遣いをしており、その時も方条さんは「申し訳ないので、そんなに急がなくて大丈夫ですよ」というが、「緊急搬送の時は必ずこうしなければならないと決まっているので」ということだった。

病院に着いた。僕は受付に行ってから待合室で待っていた。

「高エネルギー外傷」とは、体に大きな力(高いエネルギー)が加わって起こった外傷のことだ。

スピードの速い交通事故、落下事故などが該当し、 身体内部の広い範囲で組織が破壊されている恐れがあり、目に見える徴候がなかったとしても生命に危険を及ぼす可能性が高いものだ。方条さんもこの可能性は十分あると思っていた。

ところが、検査の結果、骨折どころかヒビすら入っていなかった。
 
医師も状況から考えてもなぜこの程度で済んだのか不思議がっていたとのことだった。

結果を聞いた時、本当によかったと安堵した。思わず涙が出そうになった。   

目に見えないところに深刻なダメージがあり、方条さんの武術家人生が終わってしまったら…と思ってしまっていたのだ。

方条さんは大きな登山リュックのようなものを背負っていた。その紐が切れて方条さんの身体と離れたところに落ちていたので、それも背中を守ってくれたかもしれない。そう言うと、方条さんも「身代わり地蔵になってくれたかもしれないですね」と言っていた。
 
方条さんが「小学校のランドセルも四角い形で頑丈にできているのは、後ろに転倒した時に後頭部や背中を守ってくれるためなんですよね」と言われて、いつもなんであんな重い物にしたんだろうという疑問が解消した。普段、何を身につけるかも危機のマネジメントには大事なのだ。
 
その後、方条さんは自分で会計をした。僕も朝ごはんを食べていなかったし、方条さんも食べていないというので、みんなでお昼ご飯でも食べて一休みしたらどうかと言ったが、方条さんは「ぜひバンドの収録をしたい」という。 

マジかと思った。 

事故を起こしたそのスタジオにとって返すことになった。音楽家の田上さんは方条さんの音楽への情熱に気圧されて黙って車を運転していたが、後に「正直どうかしてると思った(笑)」と述懐していた。


スタジオの入り口に着き、方条さんが「床があるように見えた」と言っていたので検証したところ、確かに階段の前に大きな柱があるため侵入角度が斜めから入るようになっており、階段があることが直前まで見えにくく、さらに壁の色と模様がトリックアートのような錯視効果をもたらして、加えてカホンの木の箱を持った目線からは下の部分が全く見えないため、コンクリートの壁が灰色のコンクリートの床のように真っ直ぐ続いているかのように見えた(後でこの写真ともに再発防止のために改善した方がいいかもしれませんとフィードバックしたが、直後だけにクレームにみえてもなと思って詳しい対策は伝えなかったが普通の人が同じ目に遭ったら死ぬので近くちゃんと伝えよう)。
 
方条さんは元々目が悪く、あの時自分がカホンを持っていたらあの落下は避けられたかもしれないと思ったのだが、僕がカホンを持っていたらあんな受け身は取れないので死んでいたかもしれない。方条さんだったからあのぐらいの怪我で済んだのだ。 

スタジオに着くと店長さんは本当にびっくりしていて、大丈夫ですかと何度も聞いていた。それはそうだ。2時間前にあのコンクリートの階段から上から下まで落下して救急車で搬送されたのだ。病院に向かう前に、田上さんは予約していたのでと料金をお支払いしようとしたが、何度も固辞されたそうだ。
 
僕はとても自分の歌の収録などする気にはなれず、2時間、方条さんの歌の収録に集中してもらうことにして、一人ご飯を食べに行った。
 
なんとなく血液と糖分を求めて「い●な●ステーキ」に行った。普段は高いステーキなど食べないのだが、何かを取り戻そうと2000円の和風リブロースのステーキを頼んだ。量が少なく1/3はただの脂の塊でとても食べれたものではなく、これはさすがに何かの間違いではないかと思ったがそういう商品だというので、写真をつけておいた方がいいと思いますよとできるだけ穏やかに伝えたけれど、こういうことをやっているようでは早晩潰れるなと思った。危機は兆候を見逃すと致命傷になる。

後でこの話を方条さんにすると、「人生は全体で帳尻が合うようになっているから、あの事故を無事に乗り越えられた分、ステーキという小さなところに悪いことが分散されたのかもしれない」とおっしゃっていて、それならステーキが油だらけだったことぐらい安いものだと思った。

その後は、妻や事務局に電話で状況を共有したりしていた。妻は「夢みたいだね」と行った。まさに夢の中を歩いているようで、オリジナルの曲を覚えようと歩きながらマスクの下で小さく歌った。1時間半ほどしてスタジオで戻ると、一通り収録が終わった時だった。三曲も仕上がったという。
 
あの死にかけた事故の直後に、方条さんの代表曲となる「永き夜」と、我々のバンド名でもある「es-Sense」が完成したことになる。
 

僕ら戻ってきたことで立ち上がった方条さんは、何か異変を感じたようで、「ん、これはちょっとめまいがする。貧血っぽい」と言ってすぐに床に横になった。

「ご飯を24時間食べていないからそのせいかもしれないけど、一番打った腰のところがブヨブヨと腫れてきているので、痛みを感じない臓器が破損し内出血しているせいで貧血になっていたとしたら致命傷になりうるので、もう一度病院に行って検査してもらいたいので、病院に連絡しもらえませんか」と言った。

先ほどは骨の検査はしたけど、脳と内臓の検査はしなかったというのだ。僕はすぐに病院に電話して、田上さんは車を取りに駐車場に向かった。

大丈夫だと思いたい「正常性バイアス」に陥らず、貧血だと感じたらすぐに横になり、異変を察知したらすぐに病院に再度行く判断を迷わずにできる方条さんはやはりすごかった。

田上さんの車で病院に向かう途中で、僕が内臓破損の可能性には思い至らなかったと言ったら、「それは私もそうです」と方条さん。

『クライシスマネジメントの本質ー本質行動学による3.11大川小学校事故の研究』で提起した「クライシスマネジメントの意思決定の原理」は、【悪い方に転んだ時に取り返しのつかない事態になる可能性があるときは、すぐに悪い方の想定を採用して意思決定すること】なので、それに照らして「全部精密検査をして完全にクリアにならない限り、今日のリアルクラスには方条さんが参加するのは止めて、念の為入院しておくことにしましょう」と方針を決めておいた。

病院に着いた。方条さんが脳と内臓の検査をしてもらっているうちに、リアルクラスに参加予定のEMSの病院に勤めている方に電話をした。最初の搬送の際に何かあってもこの病院に入院はできないと言われていたので、万が一の時のために転送先を確保しておきたかったのだ。 

しかし、診断結果は脳も内臓も大丈夫だった。
激しく打ったあたりの臓器は破損したら激痛になるそうで、また青タンもどんどん大きくなってきたので、内臓の損傷ではないという。
 
これで大きなリスクは消えた。ようやく胸を撫で下ろした。
 
検査結果を待っている間に田上さんが買ってくれたドリンクを飲んだらてきめんに効いたらしく、方条さんは物凄い元気になっていた。めまいは24時間以上何も食べていないせいだったのだ。

全ての検査を終えてみれば、裂傷は足の親指の5mmのみで絆創膏一つ貼っただけだった。薬もひとつももらっていないという。
 
腰の上の肉がついている柔らかいところを最も強打ししており、そこは手のひらぐらいの青あざがついており、身体の各所は痛むようだがその程度の「打撲」で済んだのだ。

 
一瞬死んだと思った。重症以上は確定でどの程度の重症で済むか、ということだと思った。しかし、武術で培った方条さんの身体が自動的に受け身をとり命を守ったのだ。

方条さんは、以前から「受け身の本質は、時間と空間の分散」と言っていた。状況的にはまごうことない高所の位置エネルギー落下することによる「高エネルギー外傷」のはずなのだが、そのダメージを時間と空間を最大限分散したことで「低エネルギー外傷」にしたということなのだろう。そのため身体はほぼ全身が等しく痛み、あちこちにあざがあるという(しかし方条さんは事故後には「痛い」と一言も言わなかった。言っても仕方がないからだそうだ)。

方条さんも「武術家人生最大の危機でした。実戦合気道のチャンピオンがなりふり構わなくなり金的や目潰しも厭わずに潰しにかかってきたのを制した時の方が全然楽でした」と言っていた。「これまでやってきた集大成の全てが出ました」ともおっしゃっていた。

武術の達人といえどもあの「不意打ち落下」状況で無事でいられる人がどれだけいるだろうか。間違いなく奇跡的なことだが、方条さんの身体が生み出した必然でもある。

本物の武術の凄さを目の当たりにした。



命の危機を目の当たりにした時、スローモーションのようにはっきり見えるというのは本当だった。

今でも空中をかくように階段に触れるか触れないかぐらいのところで高速で足を動かし、足の動きが間に合わなくなると、物凄い勢いで回転して一番下まで落下していく方条さんの姿を動画を再生するようにはっきり思い出せる。方条さんは、落ちている時も落ちた後も冷静だったという。
 
目の前で友達が落下していった。もっとも死から遠いと思っていた方条さんが。その衝撃を「透過」することなど全くできなかった。 

倒れている方条さんをみて、方条さんも人間なんだと思った。しかし結果として無傷だった方条さんをみて怪物だと思った。
 
 
 
その日2023年1月17日は、夜、東京の大森でこの3人が講師となりEMSリアルクラスを本格開講する初日だった。
 
個人的には大事をとって方条さんは参加しない方が良いのではと思ったが、検査結果をクリアしてリスクは無くなったので出るという。病院から田上さんの家に寄って会場の荷物をピックアップしてからそのまま会場に向かった。


ライブ講義で、この事故の話を話しながら、自然と危機のマネジメントの話になっていった。

僕は、血の気が引いていき脳貧血になりそうだとわかった時にどうすればよかったのかと方条さんに質問した。一度そうなると難しいから、横になるのが良いということだった。実際、方条さんはすぐにそうしていた。

自分は、方条さんが大変なことになっているのだからとなんとか座って休みながら回復しようとした。しかし、カッコ悪いとか、恥ずかしいとかプライドとか、そういう気持ちは最適の行動の邪魔になるという。これを「見栄バイアス/プライドバイアス」という。
 
確かに頭に血が行ってないのだから、横になって頭に血を上げればよかったのだ。あえて「カッコ悪い」という損を取る覚悟を持つことで、倒れるという危機を回避する。これが「損切りマネジメント」だ。
 
まあでもすぐに脳貧血に気づいて座って壁に寄りかかって姿勢を低くして休もうとしたのは良い判断だった。立っていたら位置エネルギーが高いところから倒れることになりかなりのダメージを受けただろう(自分の方が頭部損傷で入院する羽目になったかもしれない)。
 
それとわかったことが一つある。緊急時は原因や先のことを考えてはいけないということだ。自分が怪我したときはアドレナリンが出まくって精神的には逆にタフになるパターンが多いが、こういう大切な人の危機の際には過去や未来の意味を過剰に増やしてはいけない。
 
それをやるとかえって役に立てなくなる。 これからそういう危機が起きた時には、過去のことを反省したり、未来を想像して恐れるということを一切しないと決めた。目の前のことに意味づけせずにやるべきことだけにフォーカスする。方条さんのように。
 
考えてみると、友達が目の前で死ぬという事態を想定したことは人生で一度もなかった。自分にはそういうことは起きないと無意識に思っていた。これが「自己除外バイアス」だ。

大学院時代、自分が事件に巻き込まれて何十針か塗う怪我を負って顔面血まみれになって救急車で運ばれた時の方が、精神的には全然大丈夫だった。しかし、目の前で。友達が。死の衝撃。こんなショックを受けたことは初めてかもしれない。  
 
リアルクラスはライブ感に溢れて、ものすごく良い場になった。懇親会でも事故ネタで盛り上がった。
 
田上さんは「方条さんが階段から落ちてきて目の前で倒れてて、西條さんまで目を開けたまま倒れた時は、正直“終わった…”と思いました」と言ってみんなで笑った。リアルクラスのメイン講師(本質行動学の双子)が二人並んで倒れているのはさぞ地獄のような光景だったに違いない笑。 
 
方条さんには念には念をということで我が家に泊まっていってもらうことにしていたが、結局、近所の田上さんにも車を置いて来ることになり、その日に起きたことのあれこれや音楽の話をした。
 
方条さんは途中長いことお風呂に入っており、心配になって田上さんは何回か声をかけた。やはりあれだけの事故の後だ、「何が起きてもおかしくない」という恐れは全くないと言ったら嘘になる。
 
46度のお風呂に入っていたという。知っているかと思ったけれど一応「内出血している時にお風呂で温めると良くないのでは」と言ってみたが、「一時的には多少腫れるけど、全体的に見ると回復力がかなり上がるので」と言い、実際に活性化しているように見えた。

結局、朝の5時まで飲んでしまった。

悪夢のような出来事が起きたが、まさかあそこからこんなハッピーエンドを迎えられるなんて夢にも思わなかった。

EMSで講師をしてもらっている 大川小学校のご遺族の佐藤敏郎さんは「防災の目的はハッピーエンド」というが、「武術の目的もハッピーエンド」なのかもしれない。
 
田上さんは、帰り際になって、落ちてきたカホンが足の膝に当たっていたことを思い出したという。実際、結構な青あざになっていた。冷静に対応はしていたけれど、やはり田上さんにとってもカホンが当たったことを忘れるほどの衝撃だったのだろう。

方条さんは翌日神奈川県で畑で古武術のクラスがあるのでといって朝早く出かけていった(このタフさは震度7の後に平常運転する鉄道会社以上のものを感じるのは自分だけだろうか)。
 
 
 
得難い学びにはなったが、こんな経験は2度としたくないというのが正直なところだ。方条さんも流石に「あんな目に遭うのは2度とごめんです」と言っていた。

ふとした時に、ちょっと何かがずれていたら、さらに恐ろしいことになっていたことに気づいた。
 
僕らの少し前を行っていた田上さんは、階段を降りきって、まだスタジオの扉も開けていなかった。転がり落ちてきたカホンが膝に当たったぐらいなのだから、もう少しタイミングがずれていたら、衝突事故になっていたのだ。
 
あの時、もし田上さんが、方条さんの5メートル前の階段上にいたら、カホンごと落下してくる方条さんに巻き込まれ、方条さんは受け身を取れたとしても、田上さんは死んでいたかもしれない。
 
方条さんも同じことを思ったようで「そしたら私が田上さんを殺してしまうことになったかもしれない。本当に危なかった」と薄寒いことを言っていた。
 
本当に全てが紙一重だったのだ。無事で済んだのは、練り上げられた技術と「神」一重の幸運が揃ったからなのだ。

無宗教で、信心深いとは言えない僕も思わずいつもは入らない神社に入って神様に感謝を伝えずにはいられなかった。
 
 
事故の日の朝、9歳になる娘が「怖い夢を見た」と言ってシクシク泣きながら自分の布団に入ってきた。
 
こんなに泣いているのは初めてのことで、しばらく怖かったねと抱っこしながら温めてあげていた。「お化けとかの夢?」と聞くと首を振る。「家族とか大切な人が死ぬ系の夢?」と聞くと、「そんな感じ…」と答えた。思い出したくないようだったので、それ以上は聞かなかった。その日は妻も怖い夢を見たようだ。
 
娘は少しお腹が痛いと言っていて、妻も何か流れが悪いのを感じたのか頑張れば学校はいけたと思うが、その日は早々に休ませると決めていた。僕も何か流れが良くないからそれがいいと思った。
 
そして僕が出かける時に娘は「嫌な予感がした」のだという。妻は「今度そう感じたら伝えようね」と言ったという。
 
実際、僕もその日、悪い流れを感じていたので、後日方条さんに「あの時、自分がその感じを信じて休んでいたら、あの事故は避けられたんですかね?」と聞いた。
 
「いえ、あれはあれだけのことが起きても、結果としては誰も大した怪我もなく無事だったのだから最善だったんです。行かなかったりしてももっと悪い形で現れてきたはずで、あれで済んだことで厄祓いできたようなところがあると思います」と仰っていた。
 
方条さんも少し前から何かが「切れる」予感があり、それがなんなのだろうと思っていたと言う。甲野先生も少し前から何か理由が思い当たらない異変の予兆を感じていたようで、事故のことを伝えると「あれは方条さんのことだったのですね」と言われたという。
 
事故後に電話で状況を共有したEMSの事務局の方も、「方条さんだから無事だったので、方条さんが悪い流れを全て精算してくれたんじゃないかと思う」と同じようなことを言っていたのを思い出した。
 

 
とまれ、方条さんの受け身の技術、日常の中で練り上げられた身体がなければ、無事では済まなかったのも事実だ。

本質行動学だけでなく、方条さんから身体のマネジメントも学べるエッセンシャル・マネジメント・スクールのリアルクラス*の意義と価値が再確認できた。
 
授業では、いざという時の命を守る「受け身」の実践授業もやりましょうという話になった。時間と空間によりエネルギーを分散させる「分散の原理」は、組織経営でもそのまま使える原理なのだ。それを身体から覚えさせることで、組織のマネジメントにも自然に反映されるようになる。
 
リアルクラスがこの事故からの生還から始まったことは一生忘れないだろう。このリアルクラスは有用性は疑いようのないものになった。
 
命を守る力は、命/人生/生活をマネジメントする「ライフマネジメント」の根幹であり、基底をなすものであり、ライフマネジメントよりも優先的に投資すべきものはないからだ。
 
 
方条さん生きててくれてありがとう。
 
無事でいてくれて本当にありがとう。
 
 
 
▼EMSリアルクラス
https://ems-realclass.essential-management.work
 
*リアルクラスに参加してくださった増本さんの投稿
https://note.com/tabinokuma/n/na269c77c119d?fbclid=IwAR2vhAD2BkqBlF4BRJXp3AgQKt_9naBTtaZYar6BKhqoAiwu0kuG8RW40Wo
 

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